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テキスト: ブブ・ド・ラ・マドレーヌ
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おや。彼女は今、こちらに背を向けている。私は少しためらいながら、彼女のことを「詮索する」チャンスだと感じて観察を始める。観客には、彼女と彼女の周りにあるものを存分に眺める立場が保障されているのだ。
普段私たちは、路上で、ショウウインドウの前で、密室で、ちょっと気になる、あるいは欲望をそそる「対象」を凝視する。または気付かれないように盗み見する。菓子パンは焦げ目を誇示しトロリとしたクリームをチラ見せする。果物はあらゆる生殖器へのメタファーであることを拒む術(すべ)も無く、熟れた部分や屹立する角度が効果的に見えるように陳列される。そしてパンも果物も、人間の期待通りの味と香りと栄養を与えてしまう。 -
そして女性は人間である。
女性という属性は、その人間が持つ複数の属性のひとつに過ぎない。それなのに女性は人間である以前に女性という「対象」として凝視され、盗み見されやすい世界を私たちは生きている。「そういうものなのだから仕方ない」と諦めたり受け入れたりすることで生き延びる日もあれば「もう嫌だ」と声に出してみる日もある。そして、凝視され盗み見されることに飽き飽きした頃、先手を打って「見られたいように見せる」という作戦を何かの拍子に発見する女性たちもいる。女優や女性アーティストはその職人だ。
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マリアは、女性である私にサインを送る。私はパンプスの内側の鮮やかな色が好きだ。ドレスやエプロンの光沢やプリントの描き方によって私はその布の手触りや匂いを思い出す。それらのデザインによって特定の映画や女優やある時代を連想する。また、労働の印としての腕やふくらはぎの太さは暗黙の誇りだ。
マリアと私の共通点をひとつ紹介させてほしい。彼女はあるテキストで、彼女の母親はホテルの客室係をしていたことがあり、そのことを誇りにしていたと書いている。私の母親も一時期同様の仕事をしていた。ホテルではなく、もっと簡易な宿泊所である。戦後、日本に駐在した進駐軍のアメリカ兵が遊興のために利用する宿のシーツ交換をしていた。マリアの母親と私の母親は世代も背景も異なる。でも彼女のこのエピソードは、彼女の作品の色彩と構図とタッチのきっぱりとした力強さと相まって、私に「女性たちは自分や家族のために生き抜いて来た」ということを改めて思い出させ、力付ける。
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Featured Artworks
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マリア・ファーラ
『Overseas』
2022年2月12日(土)まで *会期延長
11:00-19:00
日・月・祝 休廊
オオタファインアーツ(東京)