樫木知子: 樫木知子

Overview

オオタファインアーツでは、日本では8年ぶりとなる樫木知子の新作展を開催いたします。本展は、11月初旬より弊廊上海への巡回を予定しています。


樫木は、しばしばパースの狂った不思議な構造を持つ部屋や水槽といった空間に、人物を描いています。作品は主にアクリルで描かれ、描いた画布の上をサンダーで削り、再び描くというプロセスを経て、滑らかな画面と幾重にも重なる色層の背景を獲得しており、一見日本画と見まがうような平滑なテクスチュアと流麗な描線が特徴です。怖さと美しさが表裏一体となった樫木の世界観は、新作においてさらに深められ、平滑な画面の一部に凹凸やざらざらとしたテクスチャーを試みるなど、より多層的な画面構成を試みています。

 

本展のために描いた《Ω》では、ぬいぐるみとザリガニがお花見にやってきた丘は、不思議なことに床の板目と地続きで、その床に一心不乱に文字を描く人がいます。扇風機の風を受けながら描く人の透けたパーカーの衣文線は仏のそれのようになめらかで軽く漂うようですが、「描く人」の表情はそれと対照的に張り詰めています。ここで取り上げられているテーマ「描く人」は、本展の《花のない部屋》や《金魚》でも取り上げられ、以前から樫木が好んで描いているもので、いずれにおいても描くことで、おそらくは作家自身であるその人物が周りの世界を形作っているように見えます。


《花のない部屋》では、部屋の床と壁にひまわりを描く人が描かれています。床の板目の節とひまわりの花の中心は同化して、そこに花弁が二枚付き、羽虫か鳥のようにひらひらとあちこちへ飛びまわっています。床と壁は起伏して、あるはずの壁がなくなりひまわり畑に囲まれているように感じられます。この絵は、Xで見かけた”AIは『象のいない部屋』という絵を描けない”というリポストから着想を得て、AIには描けなかった「欠如」を、そこにないものを「描く人」を描くことで表現しています。


樫木にとっての絵画とは、現実にはない景色や手に入らないものを実在するかのようにあらわすことです。自身の記憶や誰かの思い出話、いつか読んだ本の場面をつむぎ、豊かな想像力をもって、憧れ、欲望、思慕や渇望といった人間らしい想いを画面にあらわしています。「画家は欠如そのものを描いているのかもしれない」と語り、AIには描けない「欠如」こそが絵画の神髄だと考えます。その絵を見るとき、私たち自身も「描く人」が作るその不思議な空間に取り込まれ、ひまわり畑や文字の床の風景に立っているような感覚を覚えるのです。