ニルヴァーナからカタストロフィーへ ― 松澤宥と虚空間のコミューン: 嶋田美子キュレーション
オオタファインアーツでは、嶋田美子のキュレーションのもと「日本概念派の始祖」として知られる松澤宥(1922~2006年)の活動を紹介する資料展「ニルヴァーナからカタストロフィーへ ― 松澤宥と虚空間のコミューン」を開催いたします。
本展では松澤が最も精力的に活動した1969~73年に時代を絞り、その中でも日本における概念芸術の国際展の嚆矢である「ニルヴァーナ」展(1970年)を中心とし、その前後における松澤の思考および「フリー・コミューン」の形成を9つの資料集合体を年代順に追ってたどっていきます。
松澤の多岐にわたる芸術的実験とその変遷に関する総括的な検証はいまだなされていません。今回展示するものも松澤邸に現存する膨大な資料のごく一部にすぎませんが、その中には1960~70年代当時に第一線で活躍した日本および海外の作家が松澤の要請に応じて送ったメールアートの数々も含まれます。メールアート・プロジェクトが行われた当時以降、ほとんど公開されることのなかった大変貴重な資料をご覧いただける機会です。ぜひお見逃しなく。
[松澤宥]
1922年2月2日、長野県諏訪郡下諏訪町生。早稲田大学理工学部建築学科卒。1940年代より詩作し、現代詩同人を組織。詩作から美術に転じ、1952年美術文化協会会員となる。1955年よりフルブライト交換教授として2年間滞米。1964年6月1日「オブジェを消せ」という啓示を受けて、6月4日美術を言葉だけで表現する観念芸術を創始。 以後内外の美術展などで「人類の消滅」を警告する展示、パフォーマンスを行う。また、1971年「ニルヴァーナ」展(京都市美術館)、「世界蜂起」など、展覧会、メールアートを企画した。 1971年より10年間東京の美学校で「最終美術思考」工房を主宰。1976年ベニスビエンナーレ、1977年サンパウロビエンナーレに招待される。1990年代より「量子芸術論」をテーマに制作を続けたが2006年逝去。生涯諏訪を拠点とした。
協力: 一般財団法人松澤宥プサイの部屋