無数の"ペースト": アイ・チョー・クリスティン
アイ・チョー・クリスティン(1973年、バンドゥン生まれ)は、アジア諸国のマーケットで熱狂的な人気を誇るインドネシア現代美術界において傑出した女性作家です。初期にドライポイント版画の制作で培った鋭く、流麗で闊達な線描をタブローにおいても実現するため、自在性に富んだオイルバーを用い、具象と抽象を織り交ぜた描写、さらに色面を重ねたレイヤー絵画が殊に知られていますが、ソフトスカルプチャーやキネティックアート、大規模インスタレーション作品も数多く手がけ多面的な展開をしています。本展は新作絵画を中心としたアイ・チョー・クリスティンの日本初個展です。
本展タイトル≪無数の"ペースト"≫とは、ここにあるものを複製してあちらへ置く、コンピューター用語としておなじみの「コピーアンドペースト」のペーストが無数に重なった状態を表します。昨年生まれたわが子との対話を通して、アイ・チョーは、あふれる物、あふれるほどの物を与えてもなお飽き足らずさらに新しい物を求め、さらに物の次には物語、そして抽象的な思考へとつながる、終わりのない消費社会の現実と人間の在り様を感じたと語ります。子供を飽かせることなく興味をひく物を与えることでコミュニケーションをはかるアイ・チョーの日常が、目につくあらゆる物を絵画表面に描きとめる行為として作品化しているのですが、ここでのペーストはコンピューター上での無機質な複製移動とは異なり、わが身の分身であるわが子との緊密で喜びに満ちた日常の置換といえます。
画面全体に散らばる動物や虫、おもちゃ、ネジやソーシャルメディアで用いるスマイルマークなどの無数のオブジェクトは一見無秩序に画面を構成しているように見えます。しかし、カラフルなレイヤーの重なりと強い筆致の線により、見まがうことなくアイ・チョー独自のものであるといえます。また"ペースト"は彼女のレイヤー絵画制作のプロセス、無数に色層とラインを重ねる技法も示唆しています。
いまだタブーの多いインドネシア社会において、自己の内面を臆することなく作品化し、自身の日常に根差した視点で人生の局面を切り取る。それらは普遍的な現代社会の問題や人間存在を示唆し、あたかも現代の寓話として私たちに自身と向き合わせる機会を作ります。